3人に1人が離婚すると言われている今。
自分がその枠の中に入るなんて、正直思っていませんでした。
こんにちは、taco(@taco_momblog)です!
このブログでは私が離婚してシングルマザーに至るまでの経緯とそこから学んだことについてシェアできたらと思います。
少し長くなるかもしれませんがお付き合いください!
サプライズプロポーズで結婚

会社員として働いていた私は同じ地元の後輩と結婚しました。
彼からのプロポーズは友人たちの前でのサプライズ。

祝福してくれたみんなのためにも幸せな家庭を築こう!
ですが、私に「幸せにします」と宣言した人は、とんでもない嘘つきでした。
私が結婚した人
結婚するまで
彼はバツイチでした。
その件については正直に話してくれ、前妻との子どもたちとの面会交流に同席したこともありました。
離婚しても子どものことを可愛がっているし、養育費も支払っている。
その分私との結婚生活費が減ることになりますが、共働きだし工夫して生活すれば問題ないと思っていました。
とはいえ、私は念のため彼に負債の有無を確認しました。
彼は「車のローン位かな」と答え、それはまあ普通だろうと思い、その言葉を信じました。
しかし、それは大嘘でした。
結婚してから明らかになってきたこと
その後私たち夫婦も子どもを授かり、私が会社を辞めた頃から、夫に不審な点が幾つも出てきました。
お金がない!
給料日に生活費を渡してもらっていたのですが、夫はそこから何かと理由をつけてお金を持っていくようになりました。
「後で補填するから」と言われ、実際返ってくることもあれば、うやむやにされて結局家賃やカードの支払い日が迫ってきて慌てることが増えていきました。
彼はクレジットカードを持っていなかったので、支払いなどには主に私のクレジットカードを使っていました。なので支払いに銀行残高が足りないと、私1人が困る構図になっていました。
私の口座に入っていたわずかな貯金は生活費の補填などにあっという間に底をつきました。(お金に対する考えが甘く資産形成など全く意識していなかった若かりし頃の自分を殴ってやりたいです)
「今だけちょっと余裕ないけど」とか「いついつにはまとまった金が入るから」などの言葉はとうに聞き飽き、だんだん不信感が募っていきます。
夫の口から出た信じられない暴言
お金のことで喧嘩することも増えました。子どもも生まれるのにこんなんでどうしようと絶望的な気持ちになり、彼への不信感を露わにしていった私。
彼は喧嘩の際などお金のことで揉めるととんでもないことを口走るようになりました。
「金がないのはお前に収入がないからだ」「そんなに騒ぐならお前が体売ってでも金作ってこいよ」と。もうすぐ臨月の私に向かって。
後悔先に立たず…
なんとなく気づいてはいたけど…あー私、とんでもないやつと結婚しちゃったんだな。と確信した瞬間でした。

私って見る目なさすぎ…
思い起こすと、付き合っていた頃も喧嘩した時にモラハラっぽさが垣間見える部分はあったのに、私は見てぬふりをしていました。
もう30代になるし、みんなに祝福してもらった結婚なのにここで辞めるなんて言えない。
私が我慢すれば、後で落ち着いて誠意を持って話し合えばきっとわかってもらえるはず。
私は自分にそう言い聞かせて、根本的な問題をすり替えて逃げていたように思います。

娘の誕生
1年も経たずにアパートを引き払う
結局生活費に困って親にお金を借りたりすることが増え、暮らしていたアパートを引き払って地元に戻ることに。
私は産前産後を実家で過ごし、その後彼の実家で生活することになりました。仕事で日中不在の夫に代わって、引っ越しの荷造りはほとんど私がやりました。お腹大きいのにほんとよくやったわ…(遠い目)
帝王切開で娘誕生

そんなこんなでだいぶストレスフルな妊娠生活を経て、私は女の子を出産しました。逆子のため予定帝王切開となりました。
硬膜外麻酔という背中に定期的に注入される麻酔が終わってしまってからは痛みとの戦いの入院生活。それでも積極的に歩くように指導され、産後2日目からは授乳室に通う日々。
子供が生まれたら変わってくれるかも…という淡い期待
夫は仕事帰りなどに娘の顔を見にきてくれました。娘の顔を嬉しそうに眺める夫に、子どもも生まれたんだしきっと気持ちを切り替えて頑張ってくれるだろうと安堵しました。
しかしそれは私の思い込みでした。
出産祝いにいただいた現金を、「急きょ必要だから」と夜中の病院にやってきて、面接時間外だったためお金の入ったご祝儀袋を窓から投げさせられました。結局それらのお金は全て使われてしまい返ってきませんでした。
結局、夫が変わることはありませんでした。
義実家での同居生活
産後の実家での生活は、ありがたく快適でした。
母にも面倒をみてもらえたし、娘も順調に成長していきました。
産後半年が近づき、そろそろ一緒に暮らそうとのことで、(ずっと実家にいたかったけど)金銭的に落ち着くまで一時的にという前提で義実家にお世話になることになりました。
母の忠告
この段階で私の母は「離婚した方がいい」と忠告してくれましたが、子どもから父親を奪うことになってしまう、初志貫徹すべき…みたいな昭和じみた考えがあってその時は離婚に踏み切れませんでした。
今思えばただ自分にバツがつくのが恥ずかしいという思いがあったからだと思います。(お母さん、ごめんね泣)
数々の問題点を知った上で、「それでもあなたが頑張るというなら向こうの家で頑張りなさい」と、母に送り出されました。
赤子を背負って義家族分の家事もこなす日々
義実家での生活はとにかく忙しかったです。
義家族はみんな働いていたため、日中の家事はほとんど私がやったからです。
当時やっていた主な家事
- 一番乗りで起床して朝食・弁当作り×人数分
- 食べ終わった食器の片付け
- 義家族出勤後に掃除・洗濯
- 娘を児童センターに連れていってお遊び
- 食材の買い出し
- 食事の支度・片付け
- お風呂掃除・お風呂沸かし
- 上記+乳児のお世話
生後半年をすぎてくるとだんだん自分で動きたくなってくる時期。
おんぶしながら家事をしていても退屈なのか髪の毛を引っ張られたり、のけぞられて背中はいつもバキバキでした。
娘の面倒を見ながらの家事は予想以上に大変でしたが、世話になっているという負い目もあり、「これが同居か…嫁に行くってこういうことだよね。」と思いつつ自分を奮い立たせて頑張りました。

文句言える立場じゃないしな…

次回へ続く…
書いているうちに色々思い出してどんどん長くなってしまいました笑
いくつかの記事に分けてアップしてしようと思います。
ではまた!
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